2011年4月14日木曜日

一个月过了

先日の11日で、東日本大震災から早くも一カ月が経過。

まだまだ被害が収まるどころか、収束のめども立たない原発問題、そしてここ数日での震度6強の余震。先日7日夜、仙台周辺で震度6の余震が発生した際には、仙台にサーバ群のあるシステムが火を噴きまくり、一晩中対応に追われて生きた心地がしなかった。

まだまだこれからも、更に大きな災害が起こるんじゃないか、気が抜けない。

地震予知が科学的にどのくらい進んできてるのかはよく分からないけど、今回の大地震は具体的な予知は出来ていなかった。あの阪神大震災だって、予知以前の問題として当時地震に関しては関西は安全、って考えが一般的だった中で起こってる。今回の大地震でプレートが大きく歪んで当分また大地震が発生しやすくなっているともいうし、いつ何時、また同じような地震に襲われても不思議でも何ともない。

気がつけば自然と、色んな備えをするようになってた。たとえば・・・

・自宅の湯船に常時水を張っておく。
・自室内の落下物等の撤去。
・空いたペットボトルに、浄水器でろ過した水道水を備蓄。
・押し入れの奥にあった、ラジオ付き懐中電灯を引っ張り出す。
・通勤鞄に、非常食としてチョコレートを常備。
・充電可能な乾電池セットを購入。
・iPhone用の非常用バッテリーを購入。
・都内にある勤務先の現場から、隣県自宅までの経路確認。
・現金は多めに持ち歩く。
・新しい頑丈な普段靴を購入。
・エレベーターの使用は、しんどくなければ避ける。
・・・等々。

そういや食料の買いだめとかは全然やってない。幸い、米なんかは親戚とかとの関係で豊富にあったから。こういうのは、いざというときに強い。

3/11の前の日の3/10は、東京大空襲の記念日だ。自分の死んだ祖父母は戦中まで東京の両国住まいで、戦局の激化で隣県へ疎開。東京大空襲はその直後だったそうで、両国時代のご近所、知人は皆やられてしまったらしい。祖父母の疎開が遅れていれば、自分も恐らく今こうしてこの世にいなかった。丁度先月のあの地震の前夜、自分の享けた生の偶然性というか有難味というか、そんなことをぼんやり考えていた。

何があっても、まずは生きること、最低限、自分の身は自分で守ること。今回、自分を含めて直接の被災を免れた人々は今後に備えて等しくそう肝に銘ずるべきではないか、そう思うのである。

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