2011年4月25日月曜日

电脑网络佷有意思

先日23日の話になるが、JUNOSの入門セミナーを受講してきた。

以前の現場だった某DCでは、多数のエンドユーザのラック内にNetscreenが、通信キャリアのコアネットワークエリアにM40が見受けられ・・・実際に自分が触る機会なんて全くなかったけど、あの青い筺体に強い印象を抱いていたものだ。

今回、しばしばブログを拝見させて頂いてるガレージ兵頭さん率いるガレネット株式会社様にて、そのJuniperの無料入門セミナーを開催するという。当日は夜勤明けだったけど行かない手はないと思い参加。

セミナー内容は、JuniperのOSであるJUNOSの概要・長所を、CiscoのIOSと比較しながら解説、そして最後に実機を操作して簡単な設定を入れて見て、疎通確認をしようというものだ。そもそも自分は、未だCiscoのIOS自体に何ら詳しくとも何ともないのだが、セミナーはそんな自分でも極めて分かりやすいものだった。Juniper製品はまだCiscoほど普及してないとはいえ、着実にシェアを伸ばしてきていると聞く。それはやはり製品の性能への信頼性あってのことだと思うのだが、先日のセミナーを聴いた限りJUNOSは大変魅力的なようだ。

FreeBSDをベースにしているためコマンドラインがUNIXライクというのがまず驚きだったし、Commitコマンドを使わないと設定を実際に反映させない、また50世代くらい昔の設定をバックアップ保存しておけるなんて、まるでデータベースそのものみたいな設計になってて面白いと思った。唯一、弱点があるとすれば機器によってはHD搭載のためイザというときの災害に弱いのでは、というものだったが、NW機器でHDを乗っけてるなんてそれだけで自分には凄く新鮮に感じられたものだ。。。素人丸出しの感覚かもしれないけれど。

最後、計6台のルータを一人一人で設定してOSPFを動作させようという演習があったが、論理的体系的に一貫してるというJUNOSのコマンドライン、自分にはまだよく呑み込めておらず手こずったものの、疎通が成功したときはやっぱり嬉しかった。今の会社に入ってこの世界に足を踏み入れて1カ月と経たない頃、自社で仲間とCiscoルータを初めて動かして苦戦しながら何とか疎通を成功させた時に感じた喜びをふと思い出してしまった。

実際には、自分以外の参加者の方々は皆、CCIEの方を含む猛者ばかり・・・自分のような、監視経験しかないような人間がここにいていいのか。最初は軽くびびってしまったが、改めてセミナー自体は自分でも理解できるような、極めて分かりやすいものだった。豊富な実際の現場経験に基づいたお話も色々聴けて、改めてネットワーキングは面白いと再確認もした。気がつきゃ夜勤の眠気も疲れも吹き飛んでいた。俺はもっともっと頑張らねば、技術を、力を身につけねば。

最後に、こんな有益なセミナーを無料で受講する機会を与えてくださったガレネット社様に、改めてこの場で感謝申し上げます。ありがとうございました。

2011年4月22日金曜日

没有底气,但是,

JP1認定エンジニアの勉強始めてからとっくに1か月以上経過してる。

実はこの資格、受験して合格したとしても、会社からのインセンティブ対象外だったことに勉強開始後になって気付いた。。確か、去年は対象になってたはずなんだけれど、このご時世、インセンティブが絞られた関係で、対象から外れたか?基本ケチな自分はそれだけで気持ちが萎えた。それに加えて、勉強開始して間もなく、あの大震災。しばし、やる気を完全に失ってた。

めんどくさくなってもう試験受けるのやめようかとも思ったけど、たかが¥6000の受験料を惜しんで放り出すのは何とも情けない!小さな試験でも、勝ちにこだわって決めていきたい。てなわけで、改めて気を取り直して取り組むことに。

それにしても、JP1って現場ではせいぜいメッセージモニタやジョブ管理くらいしか触らないんだけど、実にいろんな機能があるんですね。やっててこんなに色々できるのかと感心する。ただ、いづれも概念の説明がメインで、具体的な操作方法まではあまり触れられていないのが残念。

2011年4月19日火曜日

中奖了!



ちょっと前に、CCOでアンケートに回答、ラッキーなことにその際の抽選でシスコプレスのCCNP-ROUTEが当たったらしく、先日郵送されてきた。

CCNPは取得済みだけど、新試験制度に変わるにあたって、時代に合わせて試験で問うてくる内容も新しくなってる筈。どんな内容になっているのか知りたかっただけに嬉しい。CCIE R&Sに向けてルーティングの復習にも使えるかも。

ざっと見た限りだけど、やっぱIPv6に関する内容がモロ増えてる・・・先刻、太平洋地域のIPv4が枯渇したとか報道されてただけに、もうv6も避けて通れないだろうしな。他方で、マルチキャストが見当たらない?前はBSCIの単元に入ってたけど、SWITCHに移ったとも考えにくいし、CCNPからは排除されたのかな?

何より印象的なのは、記述の日本語の読みやすさ。BSCIは英語の勉強を兼ねて英語の原版を読んでて、意味分からないとこは日本語訳の方を読んでたんだけど、この日本語訳がひどかった。。モロ直訳でよみにくさがハンパなくて、却って余計わけわからなくなることが多かった。ざっと見た限り、本書の日本語訳はごく自然で無理なく読めそうな感じ。実際の試験も含めてCiscoの日本語訳のひどさには定評あるみたいだけど、さすがに気を遣うようになったのだろうか。

なにわともあれ、Cisco様ありがとうございました、勉強させて頂きます!

2011年4月16日土曜日

可爱,漂亮的美术馆


ちょっと前の話になるけど、先々週くらいの夜勤明け、品川の原美術館に行ってきた。

品川駅からちょっと南に行ったあたりの閑静な住宅街の中に、こじんまりと佇む美術館。何年か前に品川区に住んでたことがあって、今の現場もここから歩いていける距離だったにも関わらず、つい最近までここの存在を知らなかった。。

丁度、「Be Alive!」っていう企画展示をやってた。現代美術、理屈で説明できるものではないし、してはいけないものだと思う。求められうのは、ただ「感じる」ことのみ。繰り返しになるけど建物がこじんまりした造りだけに、展示物はそれ程多くなかったが・・・オブジェや写真、映像、そして建物の構造までも利用した展示、夜勤明けの眠気を吹き飛ばして十分楽しませてくれるものばかり。こちとらもBe Alive出来ました。

白塗りの鉄筋建ての本館以外、周囲の塀とか本館の隣は瓦屋根が乗った土塀で囲まれてる。由縁は知らないけれど、旧家を美術館として改装して開いてるっぽい。周りは本当に普通の高級住宅地で静謐、敷地内でぼーっとしてるだけで癒される感じ。展示内容もさることながら、美術館自体に素敵な穴場雰囲気を感じ、こんな素敵な場所が職場近くにあったとは!と嬉しくなってしまった。

夜勤明けくたびれた時、またふらっと立ち寄りたい。

2011年4月15日金曜日

怒放的櫻花




気がつきゃすっかり春ですねえ。

上から順番に、近所を流れる川沿いの桜並木、品川のオフィスビル群の合間に咲く桜、近所の公園のしだれ桜。

ふと思った。桜ってこんなに綺麗だったっけ?

2011年4月14日木曜日

一个月过了

先日の11日で、東日本大震災から早くも一カ月が経過。

まだまだ被害が収まるどころか、収束のめども立たない原発問題、そしてここ数日での震度6強の余震。先日7日夜、仙台周辺で震度6の余震が発生した際には、仙台にサーバ群のあるシステムが火を噴きまくり、一晩中対応に追われて生きた心地がしなかった。

まだまだこれからも、更に大きな災害が起こるんじゃないか、気が抜けない。

地震予知が科学的にどのくらい進んできてるのかはよく分からないけど、今回の大地震は具体的な予知は出来ていなかった。あの阪神大震災だって、予知以前の問題として当時地震に関しては関西は安全、って考えが一般的だった中で起こってる。今回の大地震でプレートが大きく歪んで当分また大地震が発生しやすくなっているともいうし、いつ何時、また同じような地震に襲われても不思議でも何ともない。

気がつけば自然と、色んな備えをするようになってた。たとえば・・・

・自宅の湯船に常時水を張っておく。
・自室内の落下物等の撤去。
・空いたペットボトルに、浄水器でろ過した水道水を備蓄。
・押し入れの奥にあった、ラジオ付き懐中電灯を引っ張り出す。
・通勤鞄に、非常食としてチョコレートを常備。
・充電可能な乾電池セットを購入。
・iPhone用の非常用バッテリーを購入。
・都内にある勤務先の現場から、隣県自宅までの経路確認。
・現金は多めに持ち歩く。
・新しい頑丈な普段靴を購入。
・エレベーターの使用は、しんどくなければ避ける。
・・・等々。

そういや食料の買いだめとかは全然やってない。幸い、米なんかは親戚とかとの関係で豊富にあったから。こういうのは、いざというときに強い。

3/11の前の日の3/10は、東京大空襲の記念日だ。自分の死んだ祖父母は戦中まで東京の両国住まいで、戦局の激化で隣県へ疎開。東京大空襲はその直後だったそうで、両国時代のご近所、知人は皆やられてしまったらしい。祖父母の疎開が遅れていれば、自分も恐らく今こうしてこの世にいなかった。丁度先月のあの地震の前夜、自分の享けた生の偶然性というか有難味というか、そんなことをぼんやり考えていた。

何があっても、まずは生きること、最低限、自分の身は自分で守ること。今回、自分を含めて直接の被災を免れた人々は今後に備えて等しくそう肝に銘ずるべきではないか、そう思うのである。

2011年4月2日土曜日

已经三个星期过了

「東日本大震災」の発生から、昨日で早くも3週間が経った。

長かったな。

被災した人々の窮状、自分たちの日常生活、そして、福島の原発問題・・・地震発生直後は、まさかここまで大変な事になるとは思いもよらなかった。

いや、所詮自分の身の回りなんぞ全然大したもんではない。被災して家や故郷を破壊され、愛する人々を失った方々、そして福島第一原発で、今この瞬間にも、命を削って作業に当たっている方々に比べれば。

相変わらずスーパーやコンビニでは一部の商品が品薄だったり、節電対策で街が暗かったりしても、何だかんだで自分の周りはいつも通りの日常が戻りつつある。ここ暫く、勉強とか殆ど身に入らなかった・・・英語だけは、アルジャジーラやらBBC、VOA視聴したりして文法の勉強も含めて、細々と続けてはいたが・・・他の勉強も、ぼちぼちペースを戻しつつある。

でも、いつまでも平穏な日常なんてない。今迄全く当たり前だと思ってた安全・平穏な生活なんて、全く前触れのない災害でいとも簡単に破壊されてしまうのだという恐怖を、知ってしまった。おそらく、世界ではそれが当たり前なのかもしれない。海外から、日本人は水と安全はタダだと思ってるとよく批判されるようだが、現状鑑みてそんな話も過去の神話となっちまうんではないか。

あと、何て言うか・・・以前は自分、無感動な人間だと思ってたんだけど、近頃テレビ見てても何してても、ふとしたことで目頭が熱くなったり、じーんと来てしまうことが多くなった。エレカシは学生時代好きだったけど、改めて聴くこの曲、「悲しみの果てに」。今ほど、この曲がリアリティを以て聴こえてくることはない。

どうか一日でも早く、全ての人々が悲しみを乗り越えて素晴らしい日々を送っていけますように。